Cornelius「Point」




Fantasma」から四年後、2001年の作品。最近勉強中に何を聴こうかというのを非常に迷って、コレ、何かおかしい、じゃあ次はコレ、というような作業をipodで自分は繰り返してしまうことが少なからずあった。そんな中で偶然再生したこのアルバムだけは全くそんなことはなくて、そんなことは全く予期していなかったので非常に嬉しかった。そんなこんなで、勉強しながら凄い聴いてしまった。「Fantasma」は自分にとってかなり実験的要素が高く、それで音の世界としての面白さとか魅力を表現してたように感じられた。だから「Point」を最初に聴いた時は、メロディーとか様々な音という部分ではとてもシンプルに感じてしまって、それでどこか物足りなかったのかもしれない。それが勉強としての集中した「空間」を意識したおかげで、このアルバムを好きになれたと思うと、繰り返すようだけれども本当に嬉しくてたまらない。


前作のような派手な感じやキラキラと目立って主張するような音楽では全くなくなったのだけれども、このCDで空間音楽としての小山田圭吾、という別の姿をはっきりと示してくれたような気がした。左右から流れる立体的な音はもちろんのこと、そこに水、ガス、森林や鳥や狼の鳴き声などの自然音を取り入れることによって作り出される空間は、自分自身の存在そのものをどこかふわふわと曖昧にさせる。人工的音楽で表現される自然的音楽という、今までとは一味違った表現方法によって、自分は錯覚してしまったのかもれない。このCDを聴きながら都会を歩くと、CDの音以外にヘッドホンからは様々な音が入っているということに改めて気づく。それらは人間の足音やおしゃべり、車や電車の音・・・・というような人工的な音ばかり。けれども、そうした人工音を全て飲み込み、『音』としての空間を無限な多様性の元に構築していく可能性をこのアルバムは持っていると思う。

生きる

「それは価値観の違いとしか言いようがなかったんだ。」


その友人Aの発言を聞いて僕は少なからずドキッとした。それは彼女Bが喧嘩した時に勢いで出すような言葉だったからである。重みはもちろん、違うのだけれども、それは‘絶縁’という言葉につながり、そういえば僕にもそういう類の良く分からなかったり、到底理解できなかった別れを押し付けたり押し付けられた経験があったに違いないだろうと、口の中にある糖衣に包まれていない正露丸を間違って歯でギシギシと磨り潰してしまったような、そんな苦味が広がってしまったのだった。大学生になって、昔より短気ではなくなった、どこかそう思う。それと同時に、周りに寛容にどこかなりすぎてしまっていて、エゴの追求という意味では離れてしまったのかもしれない。それでも、コミュニケーションの楽しさは減るどころか増すばかりであるのがまた不思議なところであるのかもしれない。


今日は友人らと銭湯に行って、それからファミレスに行って勉強した。就職活動一つに対しても、先日と飲み会と合わせて6人くらいの話を聴いたのだけれども、本当に考え方が多様ヒトってのは面白い。でも本当に、どれが悪いとかどれが良いとか、そういう問題ではなくって、自信を持って悔いのないようにやれるのがいいのだと思う。と僕は蚊帳の外にいるのだから、言いたいように言えてしまう。僕自身が戦争に行かない、被害にあわないと考えるならば、どれだけ考え方が変わってしまうだろう、結局は世界の中心は僕なのかもしれない。いや僕だ!そんなことをほんの少し塩素の匂いがするお湯の中で考えながら、スタバの店員や、新しい事業に妄想を膨らませて笑っていた。


それにしても、僕は文字や漢字に対してえらく愚鈍だ。恥ずかしい読み方をしてしまったり、こう読むはずなのに、言うはずなのに何故かポロリっと間違えてしまう。そんなことを振り返ると本当に恥ずかしい。漢字検定でもDSを使って勉強してみようかと思った。


帰りに友人Cと、仕事やらお金やらを得て将来どうなるんだろうね、なんて話をしていたら非常に憂鬱な気分になった。そして行き着く先の死というものについて、ベッドで考えていたら泣き出してしまった。それは怖さとか悲しさとか、そういった類のものでは決してなくて、今までの人生で見せた涙とは違うものだと思う。
とにかく、僕は科学的な部分よりも人間的な部分でヒトと関われたらいい。
喜怒哀楽溢れて生きるのがいい。

Jim O'Rourke「Eureka」




ジムオルークの1999年のアルバム。時期的に「Bsd Timing」の次のアルバムかな。ジャケットは友沢ミミヨ。とってもいい味を出してます。前回の作品はカントリー〜フォークな感じのサウンド?に電子音混ぜたりとかして緩急もあって大味な曲が多かった印象なんだけれども、このアルバムは非常に繊細に仕上がっていえると思う。どこか傷をつけてしまったら、本当に壊れてしまいそうな気がしてしまうよ。優しいギターに触れられるアルバム。


路線はそこまで前回とは大きくは変わらない。立体的な空間の広がりを持ちつつ、よりシンプルにギターで音を作り出し、シンプルにコーラスなども合わせて歌う。途中の曲では、吹奏楽器の雄大な音が響き渡る。④「through the night story」の途中のトランペットかなんかの響きは本当に夜の帰り道に聴くと泣いてしまう非常にエモーショナルに響いてくる名曲だと思う。⑤「Please Pateonze Our Sponsors」なんかは三分ちょいぐらいの曲で、途中で展開がダイナミックに変わるのだけれども、そこらへんのスムーズ過ぎる移行なんかも本当に聴いてて素晴らしいんじゃないかな。⑦「Eureka」はやっぱり映画をどうしても思い出しちゃって、頭の中に宮崎あおい役所広司なんかのシーンを思い出すたびに泣きそうになってしまう。海岸でのシーンと最後のシーンを思い出したら、もう一度観たいって思ってきたけれども、三時間近く耐えなければいけないと思うとやっぱりやめておこうと思った。


ジムオルークは歌っても、ギターのような繊細な声を出すなあ、ってのと⑨「Little Island Walking」のようにギターだけの音楽でも、なんか弾き方に特徴あるのか非常に魅力的だなあと思った。こういう優しいと思う音楽に触れていて僕は本当に喜ばしい。

ある日の夕方

コーヒーを飲む量が異常に増えた。飲みすぎると体によくないというのはわかっているのについつい飲んでしまう。家・ファミレス・カフェ.・自販機・・・・あらゆるところで飲みまくった。特に浦和のデニーズだ。コーヒーは砂糖を入れないのが大人の味だなんていうけれども、僕には全くそんなことはわからないから、砂糖をドサッと流し込み、ミルクのパックを「パチッ」という音と共に空けてこれまた勢い良く流し込む。この時の気持ちよさといったらこの上ないものである。カフェイン様のおかげで、テスト前日は本当に一時間半〜三時間ぐらいの睡眠で耐えられた。朝目覚めた時の頭のやけに重い絶望感と、気がつくと心臓が物凄い勢いでドックンドックン唸る感覚と、自分からは吐きそうはないのだけれども誰かが吐いている姿を見たら自分も一緒に吐いてしまいそうな感覚と、試験前の思い出せなかったらどうしようという手に汗握るような感覚と、数えたらキリがないくらい気持ち悪い感覚を味わうのがテストなんだと思った。自分はやっぱり創作感覚とかそういったものに特化できないから、科学的なことをひたすら詰め込んでしまっているのかもしれない。でも、こうした作業的な『勉強』も科学者としての側面を作るためには一部仕方ないのかとも思う。もう少し上手く消化できるようになったら自分は嬉しい限りなのだけれども。


こうして僕はまたコーヒーを飲む。


同学年の人はもうほとんどとっくに春休み。僕らは何を間違ったか高校生よりも春休みや夏休みが短くなってしまった。しかし、僕はまだ大学生活のうち、やっと半分に差し掛かった所であってシュウカツとかそういうもんがないものだから、なんとなく友人の話などを聴いていると無性に寂しくなってしまうこともある。今より、来年の今頃の方が本当に離れてしまっている感じがして、もっと寂しくなってしまうのだろうか。きっとそうなんだろうな。そういえば、寂しいという言葉、久しぶりに字体として表現した気がする。感覚を文字にすると、その感覚が文字になる、昔の汚いノートに書き綴った日記を見て、恥ずかしそうに僕は一人で笑った。そんなさっきの光景を思い出してまた笑った。


正直大学の教育は、教える方も何をどう教えていいか、分かっていないだろう。専門分野で、量が膨大で、それを体系的に教えるシステムを考え出すのは容易じゃないとは当然思う。量が膨大にあって、テストはそこから限られた量しか出せないのだから出す方も、本当に苦労しているんだろうなー。授業に出る意味も今では重大ではなくなった。僕の頭に残っているのは「様々な人の授業を受けて、その中で、この人に会えて良かった、出会って良かったという人に会えればいいし、そういう出会いを大切にして欲しい」という言葉だった。本当に世の中知らかったり、知れなかったりなことばかりで心から嬉しく思う。とにかくテストは早く追試なく終わるといいな。

ART-SCHOOL「テュぺロ・ハニー」




art-schoolの完全限定生産シングル。ジャケットは全国から応募したそうな。僕は、高校生の頃すげーart-schoolが好きで好きで、キチガイじみて好きだったんだけれども、なんだかそんなのも本当に最近は懐かしくなってしまう。木下理樹は相変わらず歌が下手糞だし、作曲能力も最近のを聴いてると同じような曲だったり、それでもって今回はプロデューサーは益子樹であって、前回のフルアルバムなんかはトニー・ドーガンで、さらにはモグワイのメンバーも参加したり、僕はこの人の歌は周りとの「関係性」で出来てるなあって本当に思う。いい意味でも、悪い意味でも。(この意味だと悪い意味の方が大きく捉えられるのかもしれないけれど。)


「フリージア」とかそこらへんを聴かないで久々に聴いたのだけれども、益子樹の能力は他のバンドに比べるとあまり光ってないと正直思う。やっぱりなんか全然ピンっと来なくって、art-schoolはどうしても1stアルバムの「Requiem for Innocence」やその前のCDあたりに行き着いてしまう。(あまり進んで聴こうとは決して思わないが。)最近「PARADISE LOST」を聴いてかっこいいと思っても、何か上っ面な塗りたくった感じが非常に嫌で嫌で嫌になってしまった。


こんなボコボコに批判しといて、それなら聴くなよと言われるかもしれない。僕自身も正直何を彼らに求めてるかも全くわからない。ただ単に、聴いてがっかりする、そんなことの繰り返しになるかもしれないし、そんなことをしているだけかも。それでも僕は木下理樹をどこか放っておくことはできない。そんな魅力が他の人をひきつけているのだろうか。僕とart-schoolというバンドの関係は本当に意味がわからない。実はただのノスタルジーに対する好奇心だけで生き続けてるのかもしれないが、それも一興と言えるのだろうか。

フルカワミキ「Mirrors」




Supercar、ベースのフルカワミキの1stアルバム。あらかじめ言っておくと、実は僕はあんまりSupercarをちゃんと聴いてない。二枚ぐらいなんとなく借りたデータ自体はPCに入っているんだけれども、いつもどうしてか2・3曲いくと、あーもういっか、なんかな、とりあえず別のアルバムに、ってな感じの衝動が起きてしまって聴けなかった。ipodとかituneとか、曲が一気に詰め込めるようになった分、無理矢理耳に音を押し込めようとする習慣はどこか消えてしまったような気がする。それでも時たま、嫌な音楽をものすごく押し込まなくちゃいけないような衝動にも駆られて、それを実行してしまう僕はマゾとか、そういう変態の類に入ってしまうのだろうか。僕は決して自分は○○だ!と断言できないから、グダグダと文章を書くしかないのだけれども。で、結局このCDを聴くきっかけになったのは姉が偶然知り合いから入手してきたから。姉は聴かないみたいなんで僕の部屋にこのCDが置かれてたのでせっかくだから・・・・というわけ。


エンジニアに益子樹supercarとかrovoとか最近はart-schoolも・・・)を迎えてるだけあって、バックの電子音が綺麗な感じに仕上がってる。フルカワミキの声は、決して高らかに響くわけではないのだけれども、地を這って足から頭に向かって絡みつくような、そんな声。囁くように歌えば、どこかダークな感じが伝わってくるし、⑥「Coffee & SingingGirl!!!」のような歌い方をすれば楽しいダンスナンバーにもなる。どの曲もポップに仕上がってて非常に聴きやすいのではないかと思う。歌詞を七尾旅人が書いた②「世界のささやき」なんかは彼女の声が非常に生きた曲だと思うし、④「I♡U」はボーカルがほとんどなくて、綺麗な世界の中で「I Love you honey」などの声が少し響くだけなんだろうけれども、この曲がこのアルバムの中で一番美しくて、綺麗で僕は感動してしまった。⑩「Chick, Shick Radio」の迫り来る攻撃的な感じもすごい好きだなあ。最後の二曲は実際少しどうでもよくなってたまにとばしてしまうのだけれども、それでも聴きたくなる要素がこのアルバムにはあるんだろう。


ベースやってる女の子、っていうのは物凄く響きがよいね。最近、娘を可愛いという父親は気持ち悪くない一方で、息子を可愛いという母親は気持ち悪いね、なんて話が出たのだけれども、そういう響きっていうのはどこで作られるのかとても不思議に思った。まあそんなことはどうでもいいけれども、声を実際聴いて見たいんで機会があったらそのうちでも。なんとなく僕のヘッドホンとは相性が良くって嬉しいアルバム。

二階堂和美「二階堂和美のアルバム」




今更なんだけれども、二階堂和美の五枚目ぐらいのアルバム。前回までの、悪く言えば宅録というかやや引きこもりがちな、取れてしまう感じの音楽とは異なり(もちろん二階堂和美にはそんな言葉は全く当てはまると僕は思わないけれども)、様々なアーティストとのコラボレーションによるバリエーションの中で外に向かって、活き活きと歌うような、今までのアルバムと違う二階堂和美の姿がこのアルバムにはある。参加アーティストには渋谷毅、SAKE ROCK、テニスコーツ赤犬など。弾き語りとどっちが好みかは分かれたり、両方好きな人もいたりするんだろうけれども、彼女が決して弾き語りだけのアーティストではないことを示してくれていたと僕は思う。


友人と、彼女の曲は、本人が全部作ってるのではなくて、(当然「アイレ可愛や」は除くとして)歌詞はもうこれは完全にイルリメ(鴨田潤)が作ってるんじゃん!なんて話をして、僕らは全部二階堂和美が作ってるもんだとてっきり思ってたから、複雑な気持ちになったりした。実際イルリメの曲は聴いたことなかったので「www.illreme.com」なんて聴いてみたけれども、まー少し変わったラッパーだなーとかノイズが耳に悪そうだなーとか韻を踏んだ言葉は確かにいくらでも出てきそうだなーなんてことは考えたけれども、この人から生み出されたとは正直あんまり考えられなかった。それでも実際言葉の『アヤ』を使うのはすげー上手いと思ったし、やっぱり彼のプロデュース能力をこのアルバムで認めざるえないのかとも思う。


①「レールのその向こう」はピアノに声が響き、何か力強く一歩が踏み出せるような強さをくれる曲。②「なみだの色」はこれがライブで聴いた初めての曲で鳥肌がたったというのも大きいのだけれど、イントロの涼しげな音から入る彼女の声が非常にいい。帰り道の、夕焼け時の美しい風景を見せてくれる。③「あの子のあの頃」は微妙な距離感を表すような切ない曲。④「今日を問うpart2」はイントロの人間ホルン?も、この流暢な緩急激しい歌声も、彼女ならではの曲、と言えるのではないだろうか。この曲は弾き語りよりも悪くなかったわけではないけれども、レコ発ライブで共演した時がすげーかっこよくてやばかった。⑤「アイレ可愛や」は笠置シヅ子の曲。実際そのうちカバー集なんかも出すのではないだろうか。というか出して欲しい。⑥「いってもたってもいられないわ」は一転してとっても楽しい曲調に。実際この曲を歌ってる彼女が一番楽しそうだから、こっちも楽しくなるんだろうと本当に思う。⑦「long torch song」や⑧「Lovers Rock」を聴いてると(③「あの子あの頃」や⑩「虚離より」なんかもそうなんだけれども)本当に微妙な距離感のつらーいけれども、なんかこうしちゃう感じっていうのはすごいグッと来てしまう。⑨「絵空葉書」はのんびり空を見ながら物思いに耽りたくなるような曲。⑩「虚離より」は途中の一つ一つの言葉が空気を張り詰めさせてドキドキさせてくれる。⑪「Temperature of Windowside」は彼女自身は「澱んだフランスのような所からジャマイカのような所へ抜け出していくような曲」ってな感じで表現してた。彼女の踊りを見ながら、楽しく聴きたいインスト。⑫「カーテンコール」はふにゃふにゃっと力を抜けさせてくれる優しい楽しいインスト。⑬「日向月」は王道なポップ、最後に気持ち良く背筋を伸ばせる、元気をくれる曲。


様々なアーティストに対して、様々な、想像以上の変化した姿を見せてくれる二階堂和美。そんな彼女がマジックを呼んだ素晴らしいアルバム。歌が好きな人はぜひ聴いてみてください。