[日常]感情の墓場
先日、といっても一週間ぐらい前であろうが、父親と喧嘩をした。うちの父親は、普段はものすごく静かで何も言わない。まともに怒られた記憶は数度しかなく、たまにかけてくれる言葉が重くて僕に元気を与えてくれる。もうこの二行を書いているだけで、思い出して泣きそうなのでもうこれ以上詳しく書くのはやめておく。喧嘩したら、父親は普段の自分を見ていないようで、すごいよく見ていてくれてるんだということだ。ボクの顔はぐしゃぐしゃに涙で溢れて、その夜は何故か眠れなくて、よくわからないまま徹夜をした。朝になるとびっしりとボクの涙以上の雪が積もっていて感動して、生きてるのはいいと実感した。


ところで、昔より、人の顔色を伺うようになってしまった。なってしまったなのか、なったなのか、それがプラスかマイナスかなんてわからない。人の顔色を伺うのは、人に嫌われたくなかったり、人を傷つけたくないからかもしれない。でもそうしていると、自分の感情が信じられなくなってしまった。というのはさすがに断定的で嘘であるけれど、信じられないというか自信が無いというか、自分が思ったものがそうしたものを何故そう思うのか、などという類の不安が生じてしまう。これが大人になるということなのだろうか?これが大人になるということなら、絶対になりたくない。ただ、そうした衝動や不安を自分の中で、上手く転化できるというか、なんだろうか、上手く発言と頭での処理(活動?使い分け?)できるのが大人であるというなら、そうした風になりたい。そんな僕の気持ちを全て見抜いていた、父親は本当に尊敬している。何が言いたいかなんて全くわからなくなってしまったけれど、自分を傷つける痛みも、相手を傷つけてしまった痛みも、しっかりと噛み締めて生きれるようになりたいなあ。