シカトライオン

昨夜はアンプにつなぐ線の調子が何回ペンチで変えても全くどうしようも良くなくて、横でPCも夏だからか「ウインウイン」唸り続けるし、非常に苛立つ夜だった。結局最後には、さようなら使えないスピーカー&線、ヘッドホンという結論に達したのだけれど、これが非常に良い。僕は非常に汗っかきだから、夏にヘッドホンを外で使うと水没してしまう可能性があるから・・・・というのは嘘だけれども、取った時のイヤーマフの、ベタベタとした汗を見て一生懸命拭く作業が、自分の体液とともに自分自身を否定している気がして非常に不快になるから、というのが本当の所の理由なのかもしれない。


そんなイラつきのせいで、風呂を30秒くらいで済ませて寝たら朝八時に目が覚めた。体が水を大量に吸った泥のように重かった。それでも母親に叩き起こされて、九時にばあちゃんち(深谷市:旧川本町)に向かった。30分くらい経ってから、僕が運転したのだけれど、田舎へ向かう道路は怖かった。というのは以下のような出来事があったからだ。


途中の道で、ずっと二車線道路を直進する所があり、僕は運転のプロでは決してなく、むしろ素人、さらに石橋を叩いて渡る性格、であるわけだから当然左側の車線を選んだ。音楽は原田郁子「ピアノ」、楽しいピクニック気分で満ちていた。けれど僕がバックミラーを見ると、そこにはあたかも大きなモンスターがいるくらい車間距離を詰めてくる車がいるじゃないか!例えば、ライオンから逃げる鹿を想像して欲しい。鹿が、ライオンの位置を確かめ、近くにいるとヤバイと思い必死に逃げるとする。そして時々ライオンの位置を確かめて、遠くにいると少し「安心」し、より近くにいるとさらに「恐怖」を増すことは容易に想像できるであろう。では、もしライオンが鹿の後ろから全く離れずに鹿との距離を一定に保ち続け、なおかつ鹿には「前後」を同時に見る能力が備わっていたとしよう・・・・その鹿の、ライオンへの恐怖を想像することができようか!


そんな感じで、僕は距離を詰められ、いつ食べられるかわからない鹿となった。さらに、車はクラクションを鳴らし、挑発してくる・・・。狼狽しきった僕を見て母親は「どこか入って、抜かせましょうよ」と言う。そこで、僕は我に帰った。そもそも、二車線の、しかも左側を走っているのに早く行けとはどういうことだ?エスカレーターの左側に立って進んでいる人に歩けというのと同じことじゃないか。そんな理不尽さに負けてたまるか、キチガイもいい加減にしろ。だからといって熱くなって事故ったら、僕もキチガイと変わらない、そう自分に言い聞かせて僕は耐えた。ひたすら耐えた。それは「火の鳥」の不死になった人間が、何千年も生き続けるようなくらい、長く感じた。しばらく経つと、ゲームのように僕をその車は追い越し、前の車も次々と追い越していった・・・・。一体何故彼は僕のお尻だけをそんなに長く見ていたのだろう。志木高の入試を突破しただけはある、特別なお尻なのだろうか・・・・。


そんな出来事もあったけれど、二時間ぐらいで無事にたどり着いた。おばあちゃんもおじさんも元気だった、とかなんとか言う前に、熊谷の方はホントに暑かった。天気予報でいつも熊谷は埼玉南部や東京より温度が高いから、想定はしていたけれどこんなんで毎日農作業やってるなんて・・・。昼ごはんは地元の蕎麦屋に行ってそれから、帰って昼寝して、一時間〜農作業を手伝った。作業内容なニンジンの水遣り。何やらニンジンを育てるには最初の『発芽』の段階が一番重要らしいが水をやる量は尋常ではなかった。縦10mくらい、幅30〜50cmくらいの畑、三列に水をあげたのだけれど、一列約20Lも使ったのである。暑さのためだろうか。土の間から5mmくらいのちっちゃな双葉が所々出ていたので、気になって聞いてみると、やはりそれはニンジンの双葉だった。感動。


話を聞くと叔父さんは、この夏に三回くらい熱中症にかかったらしい。でも、よくよく話を聴くと叔父さんはいつも『水』しか飲んでない。実際ばあちゃんちにはポカリも、麦茶さえもなかったし、何故かりんごジュースとか投入とか牛乳しかなかった。叔父さんに「ポカリ飲んだ方がいいよ」と注意してあげようかと思ったけれど、自分で他にも色々考えているみたいだし、つまりはそういう人だから、とりあえず言わないことにした。僕は少なくとも、叔父さんのように畑で取ったトマトをマル齧りすることだけは、真似できそうに無い。農作業から戻って、テレビをつけると丁度九回裏で3アウトになり、浦和学院が一回戦で敗退した。負けたことに対して埼玉県民の誇りをぶつけて煽ることは簡単だけれども、人間らしい感情を表情にともすTVの彼らに対してそうすることはなんとなくできなかった。


夕方になり向こうを出て、途中ブックオフに立ち寄り、手塚治虫やらを大量に買い込み、再び家に帰って来ると八時を少し過ぎていた。家に帰ってビールを親父に注がれたので飲むことにしたが、一週間近く経っているのに、東医体後の飲み会で吐いて切れた口内の傷に染みて悔しくなった。