たまには書いてみる日常の記憶

昨日はといえば、朝五時半ぐらいに起きて学校行って一時間ぐらい剣道して体を動かした。六時半前後の電車で行ったのだけれども、その日はギリギリ座れるぐらいの混み具合だった。木曜日に見た、七人がけの座席に対して五人ぐらいが悠々と座り、僕が目の前を通ると途端に寝たフリをする、そんな光景を見ないだけ幸せな朝だったと思う。それから家に帰って勅使河原宏の『他人の顔』を見たのだけれども、原作での細やかな感じを映画で楽しむのは間違ってるのだと確信し、安心して眠りに入った。途中のケロイド顔を見ると先日見た『エレファントマン』が頭によぎった。エレファントマンが仮面をかぶったら、どんな人間になっただろう。他人の顔の主人公は、『人間的』生活を悠々過ごし、そこで急に顔を失って仮面へと迷い込んだ。それに対して、エリックは先天的に障害を持っていて周りから見世物にされていたので最初から『人間的』なものを保障されていなかった。そんなエリックがもし仮面をかぶったとしても、別の誰かとなっても・・・・それでも個人が全く特定できない仮面の世界では行う行動はどこか似通ってしまう気がしてならない。そういった意味では安部公房の言う仮面量産世界では、障害者は新たな別種の障害者と取ってかわるのではないだろうか。


午後は接骨院行ってから昼寝。接骨院の先生はそこらへんの開業した整形外科より全然すごい。たまに怪しいことなんかも言ってたりするけれど、キネシオのテーピング技術や実生活に伴った近辺の筋肉や骨のことなら気軽に頼りになる。そして豊田利晃監督・角田光代原作『空中庭園』を観た。特に何も観たい理由はなかったのだけれども、何となくツタヤで目に付いた。小泉今日子が暖かい主婦の姿を見せていたのに、途中で「死ねば!」とか「とっとと死ねよ!」みたいなことを言うもんだから本当に怖くなっちゃってどうしようもなかった。安易にそんな言葉口にするもんじゃないね。ところで夕飯はな鮟鱇鍋だったのだけれども、鍋ってのは僕にとってはニンニクと生姜をぶち込んで白菜ともやしと豆腐と、あと少しお肉があれば幸せな家族空間が出来ちゃうんだから、簡単な家族などの人間再生・修復レシピなんではないかと思う。


今日は朝起きたら九時だったのだけれども、ダラダラ準備して十時半ぐらいに渋谷にツタヤを返しにいった。それから民族風な店でニット帽でも探していたのだけれど、店には客が僕一人だった。一人でニット帽を試着→鏡を覗き込む→似合わないのを確認する、こんな動作を五回以上も繰り返してたものだから、ついつい店員さんに対して恥ずかしくなってしまった。こういう場合、観る側はお金を払ってもいいんじゃないかと思う。それからブックファーストに行って、中川米造の本でももう一冊ぐらい買おうかと思って検索して印刷した。けれども、店員さんに僕が「これ、ないですか?」と聞くと「今、他の人の本を探しているので。」と断られ、別の人に聞くと「これは、在庫ないですね」と一笑された。「在庫ないですね」のあとに、「よろしければ注文もしますよ」とか「また何かあったら聞いてくださいね」とでも言ってくれれば良かったのに無言なもんだから、大変それは気まずい空間となってしまった。


それから、代々木のブックオフに行って本を適当に買って新宿ルミネのスタバで本を読んだ。友人に「読んでみなよ、疲れるから」と言われた三島由紀夫豊饒の海・春の雪」を読んでいたら信じられなくなるほど疲れて20pページくらいで読むのをやめてしまった。その代わりに、持っていたドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」を読み始めたのだけれど、文字があまりにも小さすぎて行が混乱したり眠くなったりした。そんなグダグダと読んでいたものだから一時間で40ページくらいしか進まなかった。今170ページくらいで、多分全部で1700ページぐらいあるだろうからまだ、十分の一、あと36時間近く読むのにかかるのかと思うと少し憂鬱になった。金原ひとみだったかが「最初の一巻は三ヶ月、残りは三日で読めました」って言ってたからそれを信じて読もうと思う。


帰ってから、部屋を整理したら『お香』が大量に出てきた。昔お気に入りだった『ナグチャンパ』を久しぶりに焚いてみたら懐かしい味がした。とにかく今はAKIRAが無性に読みたくて、朝日美穂が聴きたくてたまらない。