簡単なというよりは安易な大阪旅行記

先週末1月20日夜〜今週23日朝まで、一泊四日で大阪まで行ってきました。二月は授業があるし、下旬〜三月にはテストがあって部活もやらなくちゃなんで、意外に時間がない。難しいのは、時間がないけれど決して『多忙』ではないということ。授業は出る出ないが決まっているけれども、それが如何せん不規則な感じに入っている感じだから効率がいまいち悪い。寝てれば寝てるだけで終わる時間だし、もっと好きな時に読書とか、剣道含めた運動とか、仮眠とか飯とか自由にできる複合施設があれば僕はそこに一年以上住んでもいいと思う。自分の工夫次第です、といったらその通りであること以外に何でもないんだが。


深夜バスで新宿⇔東京を移動した。四列シートは寝るには少しきついということで、行きは三列・帰りは節約のため四列という予定だった。バスは集合場所も会社の人の説明もわかりにくい。帰りのバスでは『それは昨日のチケットです。あなたたちは違いますね。』と冷たくあしらわれ、バス会社のミスであることをこちらが証明しても『先ほどはご迷惑をおかけしました、すいません。』の一言もなくバスに詰められた。バスが三列シートにグレードアップしていたので、それが彼らなりの誠意の見せ方なのだろうけれども、僕は四列のボロバスに詰められようが『すいません』の一言が欲しかった。友人と旅行に行った時だか飯を食べた時だかなどで「俺らが経営者や関係者なら、もっと満足させられるぜ」とよく言い合ったものだけれども、これは驕りとか思い上がりとかそういう類いのものでは決してなくて`そう思う視点´が存在してしまってることが問題であると思う。とにかく全くもって不快なバス会社だった。


初日はUSJへ。日曜日だからヒトが比較的多かったのでそこまでは回れなかったけれどもアトラクションは十分楽しめた。そんなこと云々よりも、ベロベロとディープキスをしている30代カップル、それ以上に、ニンテンドーDSをひたすらやりながら待つ無邪気な餓鬼たち、並びの列に平気で割り込んでくるアジア系外人・・・・そんな人たちに囲まれて長時間並んでいたものだから、肉体以上に精神が疲弊してしまった。多数の大人が喫煙している横で、子供達が戯れる光景なんかは、今にも吐きそうだった。


それにしてもUSJに来る女性達の眉毛の異常さには驚くばかりだ。彼女らの特徴は主に二分化される。一つは眉毛を剃りまくってどこにあったのかも分からなくなっていて、薄いタイプ。もう一つはその上からあからさまに`化粧で描きましたよ´、としているタイプだ。眉毛の美しさは、繁々と生える生命力『自然的』なものとそれを整える『人工的』なものの絶妙なバランスであると僕は思っている。太田莉菜蒼井優の魅力はそこらへんにあるのではないだろうか。ただ、似合う⇔似合わない、可愛い⇔可愛くないという指標とそれは必ずしも一致するとは思わないのだが。


そんなんだったから、USJが閉まる前に早々と新世界へと抜け出した。新世界で通天閣を見て『光る広告が滑稽だねえ』なんてことを話しながら串カツ屋でお腹いっぱいになった。道の途中に、づぼらやというふぐ屋の大きなフグマスコット風船が浮かんでいたのだけれども、あまりにも動かないもんだから石を思い切って投げて泳がせたかった。


二日目は朝から天王寺へ。寺とか街を歩くということには子供の頃。魅力を感じなかったものだけれども、いつの間にか落ち着く気が起こるようになってしまった。これが年を取るということなのか。寺は、しっかりと整えられてて、ゴロゴロと寝ていたいような場所もあった。その後は『七坂』を歩き、なんばの方へ。昼は『肉吸い』を食し、道頓堀をふらつき、心斎橋や堀江の方面へとひたすら歩いた。道頓堀はいかにも繁華街、心斎橋や堀江は、原宿と渋谷・・・・というよりはそれに高円寺あたりを足して3で割ったような雰囲気だった。単純に人のいる数、ってのが一番の違いだったかもしれない。そんな感じで夜は秋葉原ヨドバシカメラみたいのがあった梅田から帰京した。


大阪の特色というのは肌で実感したわけじゃないけれども、良いところだった。ある日、どこかに連れてかれて`地名´や`特色´などを全く知らされないで、ふらふらと街を彷徨ったら彷徨ったで楽しめるのが人間である気もするのだけれども、僕は『大阪で楽しんだ』という事実は胸に大切にしまっておこうと思う。