僕自身について

人間が自分の体験について語るときに、傲慢に聞こえてさせてしまう人と、凄味を感じさせて大人しく僕が従いたくなる人が存在しているような感覚を持つのは僕だけだろうか。僕にとって気持ち良く感じるのは後者なのだけれども、それが実際に僕にとって本当に良いのかということは必ずしも一致しないと思うから厄介だ。最も僕は不快なことが嫌いだから、前者の場合は、上手く自分で切り貼りをして表現を構成し直し、後者のような言い方に無意識に訂正している部分が多いのかもしれない。いずれにせよ、語り手に「全く悪意がなく、相手のため」という前提が僕の中で成立する範囲ならば、辛くたって思いっきり泣いて僕自身の中で消化できる自信はある。そういった意味での諦めはとてつもなく悪い人間が僕なのかもしれない。


僕は、僕に関して分析することを最も恐れる。何も僕が僕を振り返らないというわけなんかではない。僕の心の奥底に湧いてできた水溜りが、言葉として発することによって流れ出てしまう。そんな感覚がとても恐ろしいのだ。そういった意味では、上手く自己消化機能を持った人間が僕なのかもしれない。


周りの人間が僕自身に関して、何でも期待していることがあったとしても、僕はそのことに関してそのまま答えようとはあまり思わない。逆に僕にとって周りに関して僕の考えにそのまま答えてくれなんてことは全く思わない。人間ってのは生まれた時の姿はそんなに、差はないのに育っていくにつれて色んな姿へ変わっていく。人間は野菜だ。みんな画一的に同じ料理にぶち込んでも、同じ料理法を用いても不味いだけだ。だから僕自身は、あらゆる手法を用いた料理人になりたいし、そういった料理人に喜んで料理されたいと思うのだ。