(;´ρ`) グッタリ

 この日は、剣道の稽古が午前と午後で二部練であったのでほとんどそれで一日終わってしまった。午前中は全然風通し悪くて20分ぐらい面かぶってただけでホントに死にそうになった。段々皮もはがれてきて、オフ明けっぽくなってきたのでどんどん稽古をやらねば。他の大学は7月にテストがないとこがほとんどみたいだから、こっちはその分もしっかり体を作ってかにゃああかん。しっかり、自分の課題を修正しながら試合にのぞもうと思う。

 そんで練習後いきなり野球のチケットもらったんで野球観戦。広島とヤクルトで、そんなに野球とかそこまで見ないんだけど、いちよ一通りの知識はアリ。まあ、なんというか野球盤を上から見てるような感じですんごい楽しめました。サッカーの方が、断続的にボールと選手が動いてる分、見てる分にはあんま退屈しない気がした。あーそれでもなんでも、スポーツっていいなあ。。。

 帰ってから、少しダラダラして明日の線形数学に備えて二時間ぐらい勉強して寝た。正直もう時間なくて、しかも去年は4点とかいう点数だっただけにあきらめてたので、ひたすら過去問を見て出題パターンの可能性が高いやつの解き方をひたすら暗記した。計算力が落ちてないことを祈ってw

 実際数学とかそういう基礎科目って、将来なんのために役に立つのだろう?昔はそりゃあーなんか適当に勉強すればある程度点数とか採れて(それでも限界があったが)なんだか数学を楽しんでる気がして、できることの喜びを覚えて、そんでなんとなくできない人のことを馬鹿にして、そんな自分の自慰行為の道具でしか数学でしかなかったのかもしれない。でも、問題が解けるとかわかるとか、そういう喜びっていうのも人間の感情として必要な部分だったのかもしれない。なんかホントに何に意味があるのかはわからなくて、なんだろうがそれなりの『理由』なんてものを勝手に自分の結果論とか経験論とかに添付して見出したつもりになっているだけなんじゃないかなあとか思ってしまう。そうすると結局どんなことにもある程度正当性をなんとなく感じちゃってホントにわけがわからなくなっちゃう。

 そんな結果論的な後付で自分を自己満足させる。それが人生の繰り返しでな気がする。だから人間は複雑なことばっか考えてうろたえるだけでなく、たまには馬鹿になってなんかやってみることも十分必要な気がする。

 あー馬鹿になってある意味からっぽになって生きろ、自分。