夏休み。

 やっとテストが終わった。うれしいね。でも、なんとなく終わった後に勉強したくなる。勉強しないけど。神経解剖学は、去年の化学のテストを想起させるような狭い範囲での出題だった。すんげー範囲は膨大で、小脳路とかすんごい色々覚えまくって出なかったので残念。まあ、通ったと思いますが。それに、ここで一通り一度覚えておけば、もう一回臨床やら何やらで出てきたときに楽になるし、今年一年の基礎科目は面倒くさいけど、しっかり勉強しとこうかと思う。

 それにしても、MCBのレポートでかぶったのはみんな0点とか、まあ面白いっちゃあ面白い仕打ちだ。ただ、自分もそこらの文献を色々あさってきて、それをまとめた感じになってるのは否めない。高校のときの化学の実験と違って、自分が直接実際やったものを書くわけでもないんでレポートといっても、なんかやっぱりもの足らないものでつまらないと思って写してしまう気持ちとかやっぱりわかるもので、こういう人がでるのも仕方ないことなんじゃないかなあって思う。自分で文献調べた方が、きっと知識の量とかは増えるのだろうけど如何せん時間がかかる。そんでやっぱり、人によっては行き方の優先度なるものがある程度あるもので、どうしてもその時間が惜しい人とかもいるんだろうね、ホントにめんどくて適当に写した人もホントにいるんだろうけど。 そういうのを「忙しくて仕方なくやってしまったと信じております」なんていう先生がいたものでホントに俺はびっくりしてしまったよ。こんな発現してくれるなんて。優しい。そういう学生の立場からの配慮を持ってくれる先生が一人でもいると安心した気持ちになる。こんな発現されたら、この先生を裏切ってはいけない気持ちになるのは自然の摂理だろう。

 まあ、ホントに教育とかそういうものは一方的な教える側の論理に従うことが仕方なく求められるものなのだけど、どうしても教えられる側からしたら納得いかない。優しすぎると調子に出るやつか出てくる世の中だし、厳しすぎるとグレてしまう。教える側にとっては、自分の厳しさがどれだけ本当の優しさにつながってるかを信じさせる必要があると思う。それができる人が、まさしく良き指導者だろう。こっち側としては、厳しくっても「この人についていけば絶対安心、後悔しない」みたいな保証がやっぱり欲しいわけだな。

 そういうのを考えてると、やっぱり患者はそういう医者を欲しがっているわけであって、医者でも何か信じさせる気構え、そしてそれに伴った実績を示さなければいけないんだと思う。

 あー大人になるって、社会に出て上に立つって、誰かに何かを教えるって、とっても奥深い。