さあ剣道の素振りして寝よう。

 やあ、試験勉強でてんぱっているachaです。MCBはレポート17個で全然耐えると信じてもうレポートはいいかな。。。。後は覚えるのみ!ってこれが一番えぐいんです。どう考えても、偉大なo野先生や、神みたいな先生や、指定した本を訳している先生だとかはどう考えても出題されて、あとは保険として2、3人違う先生のを押さえればいいと信じます。あとは細胞間接着がピンチ。。。。プリントを一通り見て覚えるしかない。。。。それよりも神経解剖学をやっていないのが焦る。。。MCB終わったら一気にやろう。

 さてさて、こんな試験勉強でブログの更新をしてない自分でみなさんごめんなさい。見てた人は「更新してねーじゃねーか!」とか怒らないで毎日延々とアクセスしてください。いやー実際色々と忙しいのよ。昨日とか実は静岡まで整体行ってたのよ、往復6時間?以上かかったんじゃないかなwまあ、そのおかげで東医体に向けて頑張る気力が起きてきた!(後でその日の日記は書きます。)

 他の人のブログを見ていたら、慶應のミスコンがどうこうかかれていたので俗な自分は広告研究会のホームページに行き、一通り出場者の顔をなめまわすようになみなみと眺めた。あー、「慶應っぽいね」とかそんなことを言うと反感を買うんだろうけど、慶應っぽいのだよ、慶應。それにしてもみんな綺麗に肌が整ってますなあ。最近不規則でニキビが増えてたり髭がボーボーな自分の肌とは大違いだね。

 一時期は結構にきびがひどかったりして、もう今はその頃に比べりゃあ全然マシになっているんだけど、ひどかった頃って結構無駄に気にしたりして誰かに肌のこととか言われると傷ついたりしてた。そんな、どんな人だって好きでそんな世間一体から負と思われる要素を持ちたくないと思っている。まあ、生活習慣が悪かったりとかするのが原因なんだろうけど、自分では何言われようと納得できないものなのだ。でも傷つくことでまあ、弱者の気持ちがわかった気になったりする。少なくともこのことに関しては。

 まあ、でも実際人間ってすごい矛盾したことに、自分が肌が汚い人の気持ちがわかっていようがいまいが、肌が綺麗なことに何か+な面を感じてしまうのだ。自分たちはどんなに、肌が汚い人の気持ちがわかった気になっていても肌がきれい=プラスという世間的な価値観はぬぐえないわけなのである。極端な話肌が汚いのが、にきびが「神聖なもの」とか言われる世間体ももしかしたら世界中どっかにはあるかもしれない。

 物事の価値観ってホントに住む世界によって作られ方が違うんだなあ。自分はどう考えてもほとんど中国系の顔を「可愛いとか見ててほのぼのする」とか感じないわけで、きっと中国人から見れば「日本人って全然なんとも思わない」みたいな感じに思うんだろうね。西洋人がかっこいいとか冬のなんちゃらとかドラマで外国がカリスマ的にメディアに取り上げられない限り。そう思うと、自分は兄弟の影響が大きいなあって思う(反面的にも、いい意味でも)。例をあげると、自分はどっちかってと綺麗系な子よりも可愛い系の子が好きなわけで、それは姉の「mini」とか「SEDA 」とかそんな女の子の雑誌を読んでしまったせいなのだと思う。きっと医学部にいるとそれなりに「医学部っぽく」なんかしらみんななっているんだよ、自分も含めて。それがきっと職業としての必要な雰囲気であったり、自分の個性として何らかの形で組み込まれるのだからいいじゃない。

 ホントに人間って面白いね、顔の好み一つにしても、あなたが生きていた足跡の何かしらが関係しているのだから。



以下蛇足。

 ミスコンの出場者ってどう自分のことを思ってるんだろう。将来アナウンサーとかになるためにやっているのかな。自分では自分のこと絶対可愛いとか綺麗とか思ってるんだろうなあ、でもそういう人たちも世の中には必要だね。大衆はやっぱりきれいとか可愛いとか(どういうのがそうとかは個人によるけど)、そういうのを見ると何かしらいい気分になるのだから。




 あー見せてる人も見る人も+!だからさらに見せてる人も増える!あーこりゃあ、まるで人間の体のホメホスタシスを維持するpositive feedbackじゃないですか!芸能界の進出はまさしくこれで起こるのです( ´・∀・`)へー。

 やあ、こんばんわ。今日はMCBのテストだった。三時間とかくそなげー。なんかあそこまで課題が不公平に作られていると、もし自分が興味を持つ分野への可能性っていうものをせばめてしまうんじゃないのかね。なんかまあ、テストってそういうのじゃなくて、みんなをある程度「均一化」して行うものでもあるから仕方ないっちゃあ仕方ないんだろうが。それに、そういうことに興味が持つことに対してテストとかいう領域で勉強をせばめちゃうのも変だろうけど。実際テストって何のためにあるのかというと、テストがないと勉強しない「人がいる」からなんだね。テストがないと人間って中々勉強しない、そんな堕落なことは本当はやっぱ医学部学生としては許されないことであって、自分は自分が恥ずかしいとたまに思う。そんな時、自分は本当に医者になりたいと思っているのかと思ってしまう。でも思ってる。そう思ってる。

 今回のテストなんかは、こう時間をかけてテストを勉強した分、かけてもそんなに点数が実際問題として上がるわけではなかった。そんな結果論から走ると、一見勉強した時間が無駄なように思えたりする。テストの点数をそれなりに取るのって、やっぱりなんか不器用な自分にとって難しいと思うことであり、特に「合格ぎりぎり」を見定めるなんてことは自分にはまったくできない。なんかある程度直前に始めて「テストを通す」なんてのができる器用な人もきっといるもんで、そんな人たちが一見うちの学部の世間体では「かっこいい」とか「羨ましい」なんていうわけだ。

 まあ、実際そういう容量ってそりゃあ医者になる以上最低限必要なことであるのは当たり前だと思う。自分から見れば、不器用な自分から見れば、やっぱりそういうすんごい能力を持っているならば持っているなりの何かをやってほしいと思う。いやー少しぐらい容量よく一時的な、こんなあれだよ、医者になるための過程のただのテストだよ。テスト。そんな一時的なもので、他の人よりできることで安心せず、何か大きなことをやってくれ。みんなホントに周りにいる人たちは、頭いいと思うんだから可能性を思う存分はっきりしてほしい。心から応援する。そのためには、やっぱり真面目さとかひたむきさとか、現代社会で忘れてることってホントに大事なんだと思う。





 いやーなんか偉そうなこと書いちゃった。自分の可能性とか能力とか、自分の限界を自分で見極めることをしないで大きくなりたいのは実は自分なのだよ。自分。大きなことがしたい。