ケガ

 まさかこんなことになるだろうとは思っても見なかった。誰があの時、こんなことを考えられただろうか。いや、考えられなかったに違いない。みんな、平然な怪我と考えていたよ、何より自分自身それを一番確信していた。がん患者が告知を受けるのってこれが飛躍したような感じなのかなと思う。夢なのかと思った。とりあえず、心の中で自分はひたすら叫び、頭をフル回転させて目覚めるのを待った。目覚めなかった。この事実を色々な人に伝えるにつれて現実味が帯びてくるのがわかった。逃げるとこなんてないのはわかっていても、どこかに逃げたいと思った。そして、頭の中をまた怪我かとか、なんでなんでとかそんな混乱した気持ちがうごめいてとりあえず泣きたくなった。外で泣くなんて情けないから、まわりにそんなことがバレるのはかっこ悪いから急いで家に帰った。そして自分は部屋に誰にもいないのを確認してから。。。。。

 実際、今も何も実感とかそんなにわきはしない。別に普段の生活ではそこまで困っていなかった。たまに不憫を感じるけれども首の時ほどじゃあ全くなかったもの。

 とりあえず、親指の靭帯がいかれたのだ。レントゲン撮ったらなんか第二関節に妙な空間をもったこと。ホントにものとか強くつかむといたい。文字かいててごくたまにうっとなる。剣道で小手をはめておもいきって振ると死ぬほどいたい。剣道ができないなんてホントに俺には苦痛でしかない。

 これは5月の合宿中にした怪我であって、ホントにこんなに重大な怪我だなんて思わなかった。剣道では体当たりで手首のほうの骨のとこが痛くなるのはよくある話で自分はずっとそれだと思ってた。それならテスト期間中に適当に休めば絶対治ると軽視していた。接骨院の先生もそっちのほうだと判断していて軽視してたに違いない。

 実際この時期は練習がないのが唯一の救いだが試合前なのだ。八月には大きな試合がある。なんとか試合には出たい。以下整形の先生とのやり取りはこんな感じだったと思う。

先生「テーピングとかしてやってもいいけど決して無理はしないように。8月の後半にまた来て、よくならなかったら手術も検討しよう。」

自分「手術とかするとどうなるんですか?」

先生「1、2ヶ月はちょっと使えないかな。。。。」

・・・・・・・こんなテストやら解剖やらなにやらの忙しい二年の時期にそれは絶望的。もう、この際別に留年だとか休学だとかそんなもんと引き換えに元気な体に戻れるならそれでいいとかホントに思う。ああ、欝。

 この先どうなるかなんて実際全くわからない。自分の右手がどれだけ重症でホントに手術しなきゃ治らないのかなんて怖くてとてもじゃないけどきけなかった。断裂なのか損傷なのか、それともそれはわからないのか。怖い。怖いよ。怖いよーーーーーーーーーー。

 とりあえず手とか固定されなかったけど、それでいいのかなとか思う。接骨院にも行っていちよ意見を聞いてこよう。首のときは整形は役に立たなかったけど、今回は接骨院が役立たなかった。明らかに接骨院の誤診だろうね。別に自分はその責任とか追及する気は全くないんだけどさ。ホントに将来に影響が出ないといいなと思う。もし指が動かなかったらとりあえず医者の道はほとんど無理なんだろうね。ああ、欝。精神的にまいる。このつらさが、首のときのようにまた自分を何かしら違う領域へと持っていてくれるはずだ。つらくても俺は負けない。怪我してみんなと違う体験ができて得だと思うしかありません。いや。そう思えるようにしたい。

 なんか自分は怪我が多いなあとか、ホントにつくづく思う。同じことしてても、全く怪我しない人と簡単に何度も怪我しちゃう人が世の中に存在してしまうわけで、全く怪我しない人にとっては何度も怪我しちゃう人の気持ちなんてわかってない人が多いんだろうと思う、昔自分がそうだったように。実際、何かしら人の痛みとか苦しみとかって、自分がなってみないとわからない人間が多いのだと思う。自分自身も自分があったことのない、体験したことのない痛みなんてわかったあげてるつもりになってるだけでもちろん完全にわかってる自信などない。

 世間では多数派が「常」とされて、彼らを中心に世界が動く中、医者はその価値観にあわせてその世間「普通とか日常とか常識」とかから、何かしら外れそうになった人間を修復して世間に送り出す部分があると思う。そんなことを考えると医者って何なのかなって思ってしまう。けど、人間ってのは本能的に社会的集団として、みんなと共存することで幸せを感じる部分が多いのかな。だからこそ、医者の存在価値はあるのかもしれない。

 そんな中、きっと、治らないと判断された人たちは最初はすんごいショックを受けながらも自分の限られた道の中で懸命に何かを選択して、懸命に生きて自分なりに幸せをつかむのだろう。まるで、自分たちが生まれたときにある、見えない定められた選択肢から懸命に自分の生きる道を選び取っているように。自分は、世間から修復できないと判断された人のなかで懸命に選択することができずにもがいている人に何かをしてあげられる医者になりたい。もしくは、少しでも選択肢を、可能性を広げてあげられるような医者になりたい。
 
 医者ってなんだろう、幸せってなんだろう。これは永遠のテーマ。