一生懸命

 なんとか昨日よりは調子よくなった、全くもう人生投げやりになりかけるね。でももちろん自分はコツコツ型の人間だからそんな投げるなんて実際自分にできるはずがないわけだが。。。。

 どうせ誰も俺が「今日は朝くそ熱い埼京線で汗だらだらな親父に囲まれながらも一限から登校して授業聞いちゃいました・・・・・授業は・・・・・・ホルモンが・・・・・・・・」とかそんなくそつまんねー日記は期待してないだろうから省略するよ。とりあえずそんな振返りより思ったことが重要ですな。

 自分は医学部に内部推薦として幸運にも入学したものだが、実際医者への憧れと医学への興味の2つというものは如何せん簡単に結びつかないと思う。自分なんかは特に医者の素晴らしい人格像にあこがれて、その倫理的世界の奥深さにひかれて、医者の道を志した部分があるからだろう。大学、特に二年の専門課程に入ってから、授業を聞いて自分が知らない人体や何やらの知識をどんどんと吸収していき、今自分はその過程の真っ最中にあるのだが自分は一体何を楽しいと思っているのだろう。それは医学が面白いのか、単純に童心のように「覚えていく作業」が楽しいのか考えてしまう。前者と考えて自分なりに納得して突き進んでいけばいい気がするけれど、自分は後者なようにしか思えない。昔社会で歴史だとか地理だとかを延々と覚えて「社会が好きだ」とか全く今覚えばなんとも言いがたいように、自分はただ知識をつけていくのが好きなのかなとか思ってしまう。
 
 本当に知らないことに出会うばかりで、メカニズムの理解→暗記という作業になりかねないことにとても自分は危機感を感じる。でも社会と違う最大のところは、そのメカニズムがどんどん解き明かされたり変わっていったりするところだと思う。だからこそ単純作業になることは、危険であるし、何よりも間違いや新しいことを発見できない。「医者は暗記だ!」とよく世間で耳にし、自分はそれをはじめて聞いたときには「じゃあ文系の方が医者に向いてるんじゃないんかね」とか思っていた。しかし、新しい発見などを考えた際にやはり発想力の高さなどから理系の能力ってのは重要なのかなぁって思う。だから、医学部が理系の延長にあるのはまあ、よく考えてみれば当たり前なんじゃないかなと思う。

 まあ、今の段階的に、何も知らないことにはどうしようもないからある程度は暗記に徹する部分があるのは仕方ないんだろうね。そういう中でも「なんで?何故?」と鋭い視線で物事に疑問を持ち続けられた人が研究とかで成功する人なのかなあ・・・・・・・・・・。とバリバリ文系の自分が言ってしまったwとりあえず自分は、医学の知識は最低限一人前以上は当たり前+それ以外のものを何か手に入れたい。

 もし、あなたが学校(医学)の授業(勉強)を真剣に取り組み、それが将来に全く役に立たなかったらどうしますか?

 もし、あなたが学校(医学)の授業(勉強)を適当にやり、それが将来にひびいたらどうしますか?

 昔は一生懸命何でもやればいいと思ってた。そうすれば周りから褒められたし喜ばれた。「一生懸命やりました」そう言えば誰もが許してくれると思ってた。社会はそんなんで許してくれるはずがない。釤一生懸命”そんなの馬鹿でも本気になればできる。必要なのは、何に対して何を考えて一生懸命取り組むか、そう思う。