無題 untitled



無題なものには、表記として実際は何も書かないべきでitunesで“無題なCD”を入れたらuntitledと出るものだから、そこは妙に納得がいかないと最近思う。


朝、地元に放置したチャリを取りに行ったら監視しているおじさんがいて、タイミングを見計らって盗みを働くようにこそこそと自分のチャリに乗って帰った。自分は肝っ玉が小さい。石橋を叩いて渡った方がいいコトがあると自分は信じている。


夕方学校に行って雨の中一人で神宮外苑を走った。聴いていたストレイテナーの音と雨の音の融合が段々と疎ましくなってきて苛立った。他のアルバムを聴こうとしたけれども、どれもこれも無理だった。やけに吐き気がした。いつもやっているフットサル、中年おばさん・おじさんのランニング風景なんかが見れないもんだから景色も寂しく、鈍としていて泥沼の中を走っているように感じたからかもしれない。


それでも自分は孤高になろうと必死に走った。


体育館でストレッチやら素振りと足さばきをやって、AくんやBちゃんと飲みに行くので早めに切り上げて渋谷に向かった。渋谷っていうのはただでさえヒトが多い街であるから、雨の中にいる渋谷の風景は地獄絵図だった。夜の雨の渋谷にいるヒトはみんなキノコやら汚物やらを見につけている気がしたらまた少し吐き気がした。


ところで、中々のコミュニケーション不全で、お互い思い違いがあったりして人間ってこういうのは少し面倒くさいけれど、だからこそ面白いのだと思った。向井か誰かが歌っていたコミュニケーション不全な感じを唄った歌があった気がする、曲名は一体なんだったのだろうか。歌と唄の違いはどこまで明確なのだろうか。


人間の初対面って中々自分は気まずい空間を感じちゃうものだけれども、そういうものを感じなくなる日は来るのだろうか。とりあえず今日の初対面はみんな楽しそうだったし、自分も楽しめたので非常に自分は安心した。これがもしつまらなかったと思うと恐ろしい、だからヒトは気まずい空間を感じてしまうのだろうか。


歩いていて足元ばかり見ていると遠くから来た何かによって不意な事故にあうかもしれないし、遠くばかり見ていると足元の穴に落っこちるかもしれない。だからといって全部見えたらつまらない。人間は損だから楽しいのかもしれない。


そんなほろ酔いの中、自分は『酒癖のよさ』をアピールできたらさぞ良かったかもしれない。帰り道、超久しぶりにart-schoolの初期アルバムを聴いたら純粋にかっこいいと思ったので、妙に嬉しかった。