どうも久しぶりです。学校が始まって段々忙しくなりましてね、なんせ家が遠いんで部活帰りとかくそ不便なんですよ。ぺ!!!


今日はもうなんかどうでもよい一日で、なんとなく疲れた体を癒せればよかった。地元の眼科にコンタクトを買いに行ったら『今日は院長の代わりの医師がやっております』みたいな張り紙。なんだなんだ、と思いつつ視力検査とか色々やってから診察。すごい診察だった。昼時で全然混んでなくてガラガラなくせに目を機械で2秒くらいみていい加減に『もういいですよ、頭はずしてください。大丈夫ですね、乾きやすいので目薬ひたすらさして下さい。』速い。多分1分かかってないよ。しかも風貌が・・・・・・なんかいい加減さがにじみ出るいかつい女でしたよ、あなたの診察は二度と受けたくないよ、、、、と思った。あーこの人はこの仕事を何を考えながらやっているのか自分には全然予測がつかないで、そんな姿には絶対なりたくないと思うのだが。自分が将来なっていたとして今の自分は一体何を考えたのだろうなんていう悲しいことを思う可能性も十二分にあるわけであってそこらへんはなんかむなしいんだが人間として一生懸命生きてさえいれば勝手に納得できるようにできているのはすごい便利だなと思う。


『日本人は働きすぎだよ』そんな言葉が頭の中に流れ込み、自分は常に何か変化のある刺激がないと仕事なんかめんどくさく思える人間なのだと思った。そんなとき、上下スウェットで金髪のカップルが薬局の前に現れた。自動販売機を彼女はニヤニヤと見つめながら『この値段が違うのはどう違うの?』と彼氏に尋ねると彼氏は『使ってみねーとわかんねーだろ』と答えた。彼らがどれだけどのゴムを買っていったのかは自分には知る由もないが、彼らがこれからいちゃいちゃ性行為をするのだと思うと自分は猛烈に吐きそうになった。彼らの幸せは何だろう、性行為か。


幸せと快楽というのは、これはいうなれば心ベクトル変化と平均電気軸、またはオキシトシンとバゾプレッシンみたいな関係のようだ。人間は何があろうとも様々な形での自慰(単に行為をさすわけではない)が好きなわけなんだがこの快楽は一体どこに還元されているのだろうか。慰め、幸せ、自己満足、幸せ、苦しみ、幸せ、悲しみ、幸せ、喜び、幸せ・・・・・。最近はなんか何をしてても結構苦しいことばかりなんだがその苦しさを自分は、耐えているのかそれともそれを快楽に変換しているのかはわからない。けれど何か自分の中で心が落ち着かずにやや焦燥感に襲われる。先が見えない。でも自分は走り続ける。走る。走る。将来自分はどんな景色を見てどんな感情を抱くだろうか。理想の自分にどれだけ近づいているだろうか。このやるせなさというか、無常観、そんなことを思っている今の時期をしっかりと覚えているだろうか。




最近、自分が段々人間から離れた、なにか悲しい存在になっていく気がしてしまう。