今日は朝7時に起きようと思ったら十時だった。少し勉強した。まあ、実習前テストが終わったら勉強しますよ、全く。一週間ぐらい暢気にさせてくれ。午後は部活のミーティングの後先輩方と飲む。あ``ーなんでもいいから来年部員入ってくれー。マジ勘弁。実際自分が今年の春の時点でキャプテンやるのはつらいよ、全く。逆になんかそういう逆境で心を決めりゃあ強くなるのかもしれないけど、まだちょっとこんな気持ちは定まりませんがな。


それはまあ未来のことで全く考える必要が実はなくて、今は自分が強くなることが必要なんだな。でもあの試合前のスケジュールとかやばいなあ。。。。去年の秋関東はもう日吉で合宿とかいう予科1にとっては神な状況だったから自分は今思えば絶好調だったしある意味怖いもんなしで、それがとっても素晴らしい結果に結びついた。やれる人にとっては、剣道とか勉強とか当たり前のようにこなせるんだけれど自分には如何せんそれがうまくいかない。それがまた試せるチャンスでもあって今年の秋にはある意味わくわくしている自分も心のどっかにいるんだけどネ。ホントに剣道と勉強のバランスをこの秋には考えなければいけない。


なんかなあ、剣道部はもうもちろん真面目で『試験を落としてはいけない』なんていうどっかそんな堅苦しいオーラがどこかにある。なんかそういう結果で人を見ちゃう部分があるから、その空気がある意味プレッシャーで良いように感じるときもあるけど、なんかある意味寂しく思っちゃうんだよね。そのなんかって一体なんなんだろうね。自分にはよくわからないんだけど、なんか寂しいんだよ。結果とかそういうので人を見ちゃう部分ってのはもちろん自分にも何かしらあって、『あいつ、ダメだなあ・・・・』とか思っちゃうことももちろんあるんだけれど。今思い返して見ると自分は『あいつ、ダメだなあ・・・・』とか思ってしまう自分に寒気というかなんか人間の恐ろしさを感じてしまう。ダメってなんなんだろうなあ。自分は『ダメ』って言うことで自慰行為的な快感をどこかで得てるのだろうかね。あーわからん。人間ってやっぱり難しい。思うのは人を表面的に判断するのは相手に不快感を与える。そういうコミュニケーション形態は現代の情報社会では陥りやすいものであるし、聞いたことないCDをどうこう言っちゃいけないのと同じで、よく知らない人間を愚痴愚痴言うのはよくない。自分は噂話とかそういうのは好きなんだけどね。


それ以上に思うのは、そういう表面的に判断されるとかなんだかんだ言ってくる奴はどうしても世の中にはいるもんなんだから、それに囚われて自分の信念だとか考えていることを崩さないで貫くことが重要だということだ。全く耳を傾けないで聞こうとしないのは逆に問題なのは当然だけど、ここで言いたいのはもちろんそういうことじゃなくてネ。みんなが頑張るにしても勉強するにしても遊ぶにしても個人でその重みとか苦しみとかは違うんだからやっぱり好きなようにやれってことだネ。そんな個人のQOL論を言っていたら部活など集団の重みが薄れてしまうことも事実。あー人間って難しい。現代になって、選択肢が増えるにつれて団体行動が確実に下手になっていることが自分を考えてみても言えると思う。昔は自由・自由に憧れた。けれど全くいざ自由になると逆にそのデメリットって見えてくるもんだネ。


うまく弁証法的にこの矛盾を解決する方法はないのでしょうか。あーバヤシコ!!!