博士の異常な愛情〜または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか




スタンリー・キューブリック監督。米ソ冷戦を描いたユーモア。狂ったアメリカ司令官がソ連核基地への攻撃を命令。しかし、ソ連には`皆殺し装置´と呼ばれる攻撃を受けたら全人類を絶滅させるものが存在した。なんとか和平の方向へ進むが、一機の飛行機が連絡を途絶えたまま相手の陣地に突っ込んで核爆発、つまりは装置がさらに発動してちゅどーんちゅどーん。というお話です。


何も知らずに見たけれどもピーター・セラーズは二役しか見抜けなかった。飛行機なんか、今の時代じゃ全く考えられないくらい簡素な撮影だし、ペンタゴンに入るまでは中々退屈だった。タージドソン将軍が滑稽な発言をするうちに、この映画が少しずつギャグ映画な感じがしてきて、ドイツ人のストレンジラブ博士の奇妙な発言・行動に冷や汗をかいていたらコング大佐?が核爆弾(名前もふざけたものだったが)とともに痛快に落ちていってこれはそういう映画なのだと終盤になって感じた。(それまでのシーンはどこか苦笑い的要素が自分の中では大きかったように思う。)そんでもって、最後のストレンジラブ『総統!歩けます!』とともに全世界がふっとぶシーン+『また会いましょう〜』の音楽シーンは最高に気持ちが良かった。


ここまで痛快に威力があって吹っ飛んだら、僕自身『死ぬ』ってことを何も考えずに人生が光のように消えていったように感じるのだろうか・・・。

エレファントマン




デイヴィッド・リンチ監督。舞台はイギリス。奇形の顔を持ったジョン・メリックはその風貌から見世物小屋へと入れられていた。そして、彼は外科医トリーブスと出会うことでその人生は変わっていくようだが・・・。


人間の欲望が過剰であれ、具体化された映像を見ると心が痛む。けれども、僕自身はメリックを見世物にする『加害者』たちである心を持つとともに、メリックを救おうとする『救済者=トリーブス医師』のような心を持っているのだと思う。そして、そんな心の違いなんていうのは本当に紙一重なのではないか。トリーブス医師が、自分のやったことはただ単に場所が見世物小屋から病院に変わっただけではないか、というシーンがそれを痛烈に感じさせてくれた。医者と患者、先進国と発展途上国の一部に見られるようなことにどこか類似性を少なからず感じられずにはいられなかった。(患者を弱者と見るか、発展途上国に井戸を掘りに行くか、など。)


メリックの人間でありたいと叫ぶことに対して深い涙を流している僕がいる一方で、奇妙な顔を持つメリックをどこかそわそわと見てしまい、直視できない僕が存在する。つまりは、どんなに人間の尊厳の叫びを耳にして感動しても、どこかで『見世物小屋』に群がる人間と同じ僕を持ち合わせているという事実に心を痛めずにはいられなかったのだ。トリーブスは偽善者なのか?将来の僕らは?心の奥底に潜むタブーを抉り出し、答えのない命題を与えられた気がした映画だった。