安部公房「箱男」
正直ここまで面白いとは最初の数ページ読んだだけでは全くわからなかった。彼の作品は、どれも好きで「密会」「第四間氷期」なんてのも非常に刺激を受けた。でもこれを読んで、ホントに不思議な感覚に陥っちゃって、え、え、え、、、、とにかく彼は天才なのだと確信した。ダンボールを頭からすっぽりかぶる事で、市民という帰属を失い、本当の「自由」を求めた箱男。彼自身が求めた彼は、一体どういう存在だったのか。看護婦や、軍医師、偽箱男⇔箱男などが様々に交錯することで描き出した作品。
箱男は、覗く⇔覗かれるという行為の関係の延長として生まれたものとされている。
「僕は自分の醜さをよく心得ている。ぬけぬけと他人の前で裸をさらけ出すほど、あつかましくない。・・・人類は毛を失ったから、衣服を発明したのではなく、裸の醜さを自覚して衣服で隠そうとしたために、怪我退化してしまったのだと僕は信じている。・・・それでもなんとか他人の視線に耐えて生きていけるのは、人間の目の不正確さと、錯覚に期待するからだ。・・・・昔は「晒し者」という刑罰もあった。・・・・「覗き」という行為が、一般に侮りの眼を持って見られるのも、自分が覗かれる側にまわりたくないからだろう。やむを得ず覗かせる場合には、それに見合った代償を要求するのが常識だ。・・・誰だって見られるよりは見たいのだ。・・ラジオやテレビなどという覗き道具が、際限もなく売れ続けているのも人類の九十九%が自分の醜さを自覚していることの証拠だろう。・・・ストリップ小屋に通いつめ、写真家に弟子入りし、・・・そして、そこから箱男までは、ごく自然な一跨ぎに過ぎなかった。」
そして、この箱男が偽箱男(医者)と関わり、覗く⇔覗かれるの関係が逆転することで物語りは展開していく。関係が逆転することで、話の記述者も逆転して行くので、最初は何が起きたか一瞬とまどってしまい、話を掴めなくなるかもしれない。しかし、そんなことは関係ない。その巧みな視点の切り替えにより、渦に飲み込まれるように話に引き込まれてしまった。いきなり文脈が関係ない、覗く⇔覗かれるということを強く印象づけるDの話が出てきたことは関係なくても意味はあるのだ。それほど、納得させてくれるのだから本当に素晴らしい。
安部公房の医学部出身ならではの表現や、比喩を使った細かい表現はもちろんのこと面白い。それに加えて、彼の作品は、言葉の対立、視点の切り替え、変化などを通じたメビウスの輪的な発想がとても面白い。今回は、それを小説全体の構成として意図的に作り出し、複雑な渦を作り出している。そして、そこに飲み込まれていくことは今までに味わったことのない快感であることは間違いない!この不思議な感覚は、本当にすごい。とっても大好きな作品。