Jeff Buckley「Grace」




Jeff Buckleyが残した唯一のアルバム。これが出たのが1994年で、1997年には他界してしまった。若干30歳前後であったと思われる。彼といい、fishmans佐藤伸治といい、自分が音楽として彼らと出会う前に亡くなったことを思うと本当に悲しくなってしまう。死の不可逆性ほど、不条理に人を責め立てるものはないだろう。


米国のロックと言うと、どこか力強いギターの音の印象があるのだけれど、まあそれは僕が全然それに触れていない証拠だと思うので、書いていて結構恥ずかしく思った。このアルバムは、間違いなく何か絶対的な「魂」がこもっている。それは、ブッダ(といっても漫画で読んだぐらいだが)のような宗教教祖みたいに人々を魅了し、遥か高い雲の上で地上を見渡す神のように気高く、孤高で力強い存在だからこそ作り出せたのだと思うし、それでもってどこか儚く、今にも壊れてしまいそうな影を感じさせるから、僕はそこに「人間らしさ」を見て感動させられたのかもしれない。


強弱付けながら自由に暴れまわって浮遊感漂うギターと、優しさが溢れて表現力溢れる天使のような声は本当に奇跡を生み出したんじゃないか。?「Mojo Pin」の強く波打ち高まる曲全体の雰囲気や、?「grace」のイントロから最後までの澄んだ川の流れのような美しさ、?「So Real」の叫ぶようなサビ、?「Hallelujah」の言語は違えど、聴くと思わず涙を誘う優しさ、?「Corpus Christi Carol」の男か女か分からなくなりそうなほどの天使みたいな美しい歌声・・・・全てがただただ凄いと思った。馬鹿な表現だけれど、『懐かしい』とか、『昔聴いたなあ・・・』なんてことは言わずに、人生を通して飽きずに聴けそうな気がした、そんな素晴らしい、ずっと心に残しておきたいアルバム。


追記:you tubeで動画見たら泣けたわ。よくわからないけれども、すげー大量にあった。
http://jp.youtube.com/watch?v=siNsgbIWhAQ
http://jp.youtube.com/watch?v=vsa_xWLOghg
http://jp.youtube.com/watch?v=noQH6lyu0sA

高木正勝「Sail」




高木正勝の3rdアルバム。僕が初めて彼を聴いたのは「Journal For People」だったのだけれども、それを街なんかで歩きながら聴いていると、前半の方でどうしても酔ってしまって・・・・後半の水みたいな音の曲あたりからは素晴らしく好きなんだけれど。そんなわけで一番最初に気に入ったのはこのアルバムだった。POPなわりに聴いたことないような、気持ち悪い音楽っていうのが第一印象だったのだけれど、気がついたら日課のように聴いてました。表面上はすごく聴きやすいメロディーが流れているんだけれど、バックでは聴いたこともないような電子音が飛び交っていたり、冴えないけれど何故か溶け込んでいるボーカルやただの音でしかないボーカルがあったり、すごいそんな感じが僕にとっては新鮮だった。


一曲一曲の長さも最後の二曲の「Rama」を除いてほとんど3分くらいだから、飽きる前に次に行くような気がするし、統一されたPOPさというか流れもあると思うから聴きやすかったのかもしれない。?「good afternoon, TABASA」や?「makmoc」、?「pimrico」なんかは本当に綺麗だなあ。?「Rama」は、青空に浮かぶ虹のように圧倒的な存在感を見せる名曲。?「Rama(Cornelius mix)」はコーネリアスっぽいと思っていたら案の定(笑)。ちょっと立体的過ぎるんで、ヘッドホンより広い空間で聴いた方が良いと思う曲。


試験勉強の時は、とりあえずこれを流して適当に進めていたのだけれど、いつも?「Rama」のキラキラした音と浮遊感漂うメロディーに達するのが楽しみだったなあ。実験的な音が好きな人はぜひ。さらにPCで「Drowsy」「Pink Wave」のPVが無料で見れる。特に後者の方は、空間に引き込まれる感じがすごいしてゾクゾクした。眼が悪くなりそうな映像ではあるから、眼がすぐ疲れる自分にとっては、かなり根気が必要だったのは仕方ないことだったけれど。

シカトライオン

昨夜はアンプにつなぐ線の調子が何回ペンチで変えても全くどうしようも良くなくて、横でPCも夏だからか「ウインウイン」唸り続けるし、非常に苛立つ夜だった。結局最後には、さようなら使えないスピーカー&線、ヘッドホンという結論に達したのだけれど、これが非常に良い。僕は非常に汗っかきだから、夏にヘッドホンを外で使うと水没してしまう可能性があるから・・・・というのは嘘だけれども、取った時のイヤーマフの、ベタベタとした汗を見て一生懸命拭く作業が、自分の体液とともに自分自身を否定している気がして非常に不快になるから、というのが本当の所の理由なのかもしれない。


そんなイラつきのせいで、風呂を30秒くらいで済ませて寝たら朝八時に目が覚めた。体が水を大量に吸った泥のように重かった。それでも母親に叩き起こされて、九時にばあちゃんち(深谷市:旧川本町)に向かった。30分くらい経ってから、僕が運転したのだけれど、田舎へ向かう道路は怖かった。というのは以下のような出来事があったからだ。


途中の道で、ずっと二車線道路を直進する所があり、僕は運転のプロでは決してなく、むしろ素人、さらに石橋を叩いて渡る性格、であるわけだから当然左側の車線を選んだ。音楽は原田郁子「ピアノ」、楽しいピクニック気分で満ちていた。けれど僕がバックミラーを見ると、そこにはあたかも大きなモンスターがいるくらい車間距離を詰めてくる車がいるじゃないか!例えば、ライオンから逃げる鹿を想像して欲しい。鹿が、ライオンの位置を確かめ、近くにいるとヤバイと思い必死に逃げるとする。そして時々ライオンの位置を確かめて、遠くにいると少し「安心」し、より近くにいるとさらに「恐怖」を増すことは容易に想像できるであろう。では、もしライオンが鹿の後ろから全く離れずに鹿との距離を一定に保ち続け、なおかつ鹿には「前後」を同時に見る能力が備わっていたとしよう・・・・その鹿の、ライオンへの恐怖を想像することができようか!


そんな感じで、僕は距離を詰められ、いつ食べられるかわからない鹿となった。さらに、車はクラクションを鳴らし、挑発してくる・・・。狼狽しきった僕を見て母親は「どこか入って、抜かせましょうよ」と言う。そこで、僕は我に帰った。そもそも、二車線の、しかも左側を走っているのに早く行けとはどういうことだ?エスカレーターの左側に立って進んでいる人に歩けというのと同じことじゃないか。そんな理不尽さに負けてたまるか、キチガイもいい加減にしろ。だからといって熱くなって事故ったら、僕もキチガイと変わらない、そう自分に言い聞かせて僕は耐えた。ひたすら耐えた。それは「火の鳥」の不死になった人間が、何千年も生き続けるようなくらい、長く感じた。しばらく経つと、ゲームのように僕をその車は追い越し、前の車も次々と追い越していった・・・・。一体何故彼は僕のお尻だけをそんなに長く見ていたのだろう。志木高の入試を突破しただけはある、特別なお尻なのだろうか・・・・。


そんな出来事もあったけれど、二時間ぐらいで無事にたどり着いた。おばあちゃんもおじさんも元気だった、とかなんとか言う前に、熊谷の方はホントに暑かった。天気予報でいつも熊谷は埼玉南部や東京より温度が高いから、想定はしていたけれどこんなんで毎日農作業やってるなんて・・・。昼ごはんは地元の蕎麦屋に行ってそれから、帰って昼寝して、一時間〜農作業を手伝った。作業内容なニンジンの水遣り。何やらニンジンを育てるには最初の『発芽』の段階が一番重要らしいが水をやる量は尋常ではなかった。縦10mくらい、幅30〜50cmくらいの畑、三列に水をあげたのだけれど、一列約20Lも使ったのである。暑さのためだろうか。土の間から5mmくらいのちっちゃな双葉が所々出ていたので、気になって聞いてみると、やはりそれはニンジンの双葉だった。感動。


話を聞くと叔父さんは、この夏に三回くらい熱中症にかかったらしい。でも、よくよく話を聴くと叔父さんはいつも『水』しか飲んでない。実際ばあちゃんちにはポカリも、麦茶さえもなかったし、何故かりんごジュースとか投入とか牛乳しかなかった。叔父さんに「ポカリ飲んだ方がいいよ」と注意してあげようかと思ったけれど、自分で他にも色々考えているみたいだし、つまりはそういう人だから、とりあえず言わないことにした。僕は少なくとも、叔父さんのように畑で取ったトマトをマル齧りすることだけは、真似できそうに無い。農作業から戻って、テレビをつけると丁度九回裏で3アウトになり、浦和学院が一回戦で敗退した。負けたことに対して埼玉県民の誇りをぶつけて煽ることは簡単だけれども、人間らしい感情を表情にともすTVの彼らに対してそうすることはなんとなくできなかった。


夕方になり向こうを出て、途中ブックオフに立ち寄り、手塚治虫やらを大量に買い込み、再び家に帰って来ると八時を少し過ぎていた。家に帰ってビールを親父に注がれたので飲むことにしたが、一週間近く経っているのに、東医体後の飲み会で吐いて切れた口内の傷に染みて悔しくなった。

土岐麻子「STANDRDS gift〜土岐麻子ジャズを歌う〜」




土岐麻子のjazzカバーの3rdアルバム。といっても、あれだなあ、正直僕は全然jazzに詳しくなくてあんまり元ネタ知らないなあって恥ずかしく思う。①「Singin' In the rain」にしてもGene Kellyってよりは、『時計仕掛けのオレンジ』の暴力シーンばっか印象に残っているし、②「Norwegian woods」はビートルズだとヘナヘナしたシタールの音をなんとなく記憶してたぐらいだから、全然気づかなかった。他については本当に知らないなあ・・③「You make me feel brand new 」や④「It donユt a thing」はかろうじてどこかで耳にしたような気がするけれど、カバー集聴くのに元ネタ知らなきゃいけないなんて規則はないし!


正直アルバム「Debut」では、なんでこの人こんな微妙な英語使って歌ってるんだろうってずっと思っていたけれど、不思議なくらい今回のjazzカバーでは違和感がなかった。曲の雰囲気の問題なのだろうか。親父さんの土岐英史さんのサックスも気持ちよく響いてくるなあと思うし、ベースとか他のバックコーラスの演奏も随分ちゃんとされていて、だからこそ非常に聴きやすいのかもしれない。Cymbalsよりソロの方が、全然好きだし、普通のポップな日本語の曲も歌ってもらいたいと思うけれど、こういったjazzカバーでも彼女の才能は十分生きるのではないかと思う。夜に暗い部屋にこもって聴いたらすごい落ち着く気がする。といっても僕の親父がいつも夜中に部屋を暗くしてそうしてるから、というだけかもしれないけれど。

土岐麻子「WEEKEND SHUFFLE」




土岐麻子のカバー集。今回はいつものjazzカバーではなくて、j-popカバー集。誰もがどこかで耳にしたことのあるような曲を、土岐麻子風に見事に歌いあげていると思う。YMO山下達郎大瀧詠一山下達郎、そしてケツメイシMaroon5など、自分が生まれる前から比較的時代を共にした曲までが8曲詰ったアルバム。


正直、「Debut」のようなアルバムで英語を歌う土岐さんより、僕はこっちの方が好きかなあ。。。意外にこういう感じの歌での英語ってのは悪くないとも思った。けれども、jazz以外では日本語の方がやっぱ好きかな。こうやってシャッフルされていると、何を意図してトラックの順番をいじってるのかが少し気になるけれど、いつも僕はあんまりランダム再生とかそういった機能は使わない、というか結構使いたくないから、アルバムをそのまま聴いてこういう雑多感を味わえるのも粋だと思ったし、悪くないのだと思った。他の人だったら悪く思ったのかもしれないけれど。旅行する時に、こんなアルバムが一枚入っていたら実は結構嬉しいんじゃないかと思う。それにしてもチャーミーな声!

志人/玉兎「Heaven's 恋文」




降神志人(シビット)の1stアルバム。なのるなもないとの降神では、現実に対する反抗というか、そうした訴えるような要素が多い世界が多い気がしたのだけれど、こっちではもう完全に彼の世界だと思う。こんなに不思議なHIP-HOPは本当に初めて聴いた。


志人の口から出るリリックは、ふにゃほにゃっと変幻自在である。言葉の組み合わせの表現に続くエコー音と、⑤「大地」や⑦「一生に一度愛した人」の「レン・レレン・レレレレレ・レン〜♪」などに代表されるような口ずさむような声が、あまりにも気持ち良く響き渡ることで、このアルバムの独特な世界観を一気に作りあげているのだと思う。前半(①〜⑥)は自然世界を彷彿とさせ、中盤(⑦〜⑯)は江戸時代の演劇を見てるような歌など、様々な「ショートフィルム」が並べられていて、最後(⑱〜⑳)はただただ感動する景色が並ぶ。このような構成が、何回聴いても飽きない秘訣なのだろうか。


中でも②「bluesman walking」、⑤「大地」、⑨「暗殺者の恋」(不思議なエロス!)、⑬「私小説家とカラス」、⑱「ありがとうさようなら」、⑲「LIFE」がとても好き。特に⑱→⑲の流れは、深く涙腺を刺激するだろう。僕はよく志人を「シジン」と呼び間違えてしまうのだけれど、彼は間違いなく「詩人」であると思うし、それだけはあながち間違っていなかったのである。

赤川準一「These Songs Take Time」

友人が通うSFCの先輩という話の赤川準一さん。ipodの表記では赤川隼一になっているし、どっちを検索してもあんまり情報見つからないし、本人のサイトらしきものを発見しても残念ながらforbidden。そんなわけであるから、僕にとってはかなり謎めいた存在。だからジャケットもどんなのか、あるのかさえもしらない。けれども、僕はあなたの唄がどこからともなく聴こえてくる日を夢見てる。


少しかったるそうで、それでも優しさが伝わってくるような声に、このギターの音は卑怯なほど心に染みる。シンプルだとか複雑だとか、そんなことは音楽にはどうでもいいんじゃないかって思えた。②「春の道標」の「スカートの中に吹く風」に僕もドキドキが止まらなかったし、③「そしらない」の時にはダイナソーJrばりの轟音で展開するギターには鳥肌がたった。⑦「Wordrop」や⑩「Afterhours」の芯のある歌声もすごいと思った。


きっと僕は今までどこかで観たような景色を現したような世界観がとっても好きなんだと思う。最近は「好き」なんて言葉は、結果の後付けという感じがしてしまって、音楽にしても聴いて気に入ったから好きになったというのは、実は好きになるために聴いたのではないかと疑ってしまうことがある。そうやって、僕自身の感情を裏返したくなるというか、断言だとか100%だとか、そうしたことはやっぱり怖いなって本当に思う。それでも、音を聴いて鳥肌がたったとか、うるっと来たとかそういう瞬間の感動っていうものは決して、嘘ではないと僕は思うし、そうした瞬間に出会い続けたいと思うから、断言しきれなくても、好きと言いたいのかもしれない。